与謝野鉄幹・晶子歌碑|白浜
1935(昭和10)年2月に詠まれた歌です。 向かって右側が鉄幹で「寛」「てん草の 臙脂の色を 沙に干し 前にひろがる しら浜の浪」、左が「晶子」「白浜の 沙に上りて 五百重波 しばし遊ぶを 逐ふことなかれ」と刻まれてい […]
1935(昭和10)年2月に詠まれた歌です。 向かって右側が鉄幹で「寛」「てん草の 臙脂の色を 沙に干し 前にひろがる しら浜の浪」、左が「晶子」「白浜の 沙に上りて 五百重波 しばし遊ぶを 逐ふことなかれ」と刻まれてい […]
1935(昭和10)年春に与謝野夫妻が堂ヶ島を訪れた際に詠んだ歌です。 「島の洞 御堂に似たり 舟にして 友の法師よ 参れ心経」「鉄幹」、「堂ヶ島 天窓洞の 天窓を ひかりてくたる 春の雨かな」「晶子」です。 どちらも天 […]
一碧湖の湖畔に建立されています。 右側の縦長の石に与謝野夫婦の歌が刻まれ、左側の横長の石は副碑となっています。 直筆の歌を写したもので右上が鉄幹の1934(昭和9)年6月の歌で「初夏の 天城おろしに 雲ふかれ みだれて影 […]
向かって左が晶子の歌で「棚作り 臙脂のいろの 網をかく 多賀の磯より 中野濱まで」、右が鉄幹で「ここに見る 多賀の海原 ひろければ こころ直ちに 大空に入る」です。 1934(昭和9)年6月に与謝野夫妻が伊東を訪れた際に […]
国道135号線沿いの下多賀園地に建てられています。 「風涼し ひがしの伊豆の 多賀に見る 水平線の めでたき日かな」の歌と、「与謝野晶子」の名が刻まれています。 2002(平成14)年3月3日に網代多賀ロータリークラブの […]
名前 与謝野晶子(よさのあきこ)本名:与謝野志よう(よさのしょう) 生没年月日 1878(明治11)年12月7日~1942(昭和17)年5月29日 生業 歌人、作家、思想家 補足 夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。詩「君死にた […]
国道135号線沿いの上多賀園地に建てられています。 「多賀の海 色をつらねて 出で来たる 船うつくしく 舞子のやうに」の歌と、「与謝野晶子」の名が刻まれています。 歌碑の建立は2007(平成19)年1月28日です。 網代 […]